山田隆夫の座布団運びはいつから?きっかけは「ちびっ子大喜利」?

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2024年4月24日に「六星占術」の細木かおりさん(細子和子さんの娘)が自身のYou Tubeチャンネルで山田隆夫さんが不動産投資で『ボロ儲け』したことを配信しました。

すると、瞬く間に「ときの人」となった山田隆夫さん。

不動産投資で億という資産をお持ちだそうですが、ずっと「笑点」の座布団運びをされてます。

「笑点」は1966年から現在に至るまで日曜夕方に放送されているご長寿番組ですが、山田隆夫さんはいつから座布団運びをされているのでしょう。

山田隆夫さんと笑点の座布団運びについて見ていきたいと思います。

目次
引用:山田隆夫公式サイト
  • 本名:山田隆夫(やまだ たかお)
  • 生年月日:1956年8月23日(2024年4月時点67歳)
  • 身長:155cm
  • 血液型:A型
  • 職業:タレント・シンガーソングライター・落語家・俳優
  • 事務所:山高帽

山田隆夫さんの実家は裕福な材木問屋でしたが、山田隆夫さんが生まれる頃にお父さんが詐欺にあい、極貧生活になってしまったそうです

両親が暗い顔をいつもしていたので、家族が明るくなってほしい、という気持ちから、落語に興味を持ちました。

食べることにも、困るような家庭で山田隆夫さんは育っていますが、今の明るい山田隆夫さんからは想像できませんね。

引用:http://zutorubi-fans.net/history/

山田隆夫さんが10歳の時に、当時の人気番組「ちびっ子のど自慢」を友達と見に行った時に飛び入り参加をして優勝します。

司会の大村崑さんが飛び入り参加者を募って、子どもたちは手を挙げていた中、山田隆夫さんは自分からステージに上がってチャンスを掴みました。

山田隆夫さんは度胸がありますよね。

その番組の審査員に声をかけられ、NHKの歌番組に出演、「劇団ひまわり」に所属、ドラマ出演、とトントン拍子に進んで行きました。

そして、1970年(山田隆夫さん14歳)からは笑点の「ちびっ子大喜利」にレギュラー出演して座布団10枚獲得します。

そのご褒美がレコードデビュー

1973年(山田隆夫さん17歳)に『ずうとるび』を結成し1974年にレコードデビューしました。

山田隆夫さんは「ちびっ子大喜利」で笑点とご縁があったんですね。

この「ちびっ子大喜利」がなければ、のちの座布団運びのオファーはなかったのではないでしょうか。

笑点の座布団運びのきっかけは「ちびっ子大喜利」だと言えますね

引用:X

山田隆夫さんがずうとるびを脱退、離婚し慰謝料を払わなければいけない、と人生のどん底の時に、座布団運びの話が飛び込みます。

山田隆夫さん以前の座布団運びを務めていた人たちは体格の良い人が多かったのです。

歴代の司会者と座布団運びはこちらです。

司会者座布団運び
立川 談志
(1966年5月〜1969年11月)
三升家勝松
毒蝮三太夫
前田 武彦
(1969年11月〜1970年12月)
三遊亭笑遊(園遊)
小野 千春
三波 伸介
(1970年12月〜1982年12月)
松崎 真
三遊亭円楽
(1983年1月〜2006年5月)
松崎 真
山田 孝男
桂 歌丸
(2006年5月〜2016年5月)
山田 孝男
春風亭昇太
(2016年5月〜)
山田 孝男

山田隆夫さんは6代目の座布団運びですが、元々は有名な関取の方になるはずでしたが、その関取が

俺は座布団運びなんかやらないよ

と、断ります。

5代目三遊亭円楽さんと番組プロデューサーのアイディアで

重い座布団を体格が小さい人が運んだらおもしろいんじゃないだろうか

こうして山田隆夫さんに白羽の矢が立ちました。

山田隆夫さんが座布団運びを始めたのは1984年10月7日から

笑点で、回答者を突き飛ばして座布団を没収したり、指示のあった枚数より多く没収するなどのパフォーマンスは5代目三遊亭円楽さんのアイディアです。

地味で目立たない座布団運びにも注目が集まるように、という目的。

圓楽師匠が“山田くんを目立たせよう”と考えてくれました。林家こん平師匠に“山田くんの悪口を言いなさい。山田くんはそれを突き飛ばしなさい”って。それが、あのくだりの始まりなんですよ

週刊女性

その狙い通り、山田隆夫さんは笑点になくてはならない人となってますね。

山田隆夫さんの最初のキャッチフレーズは

座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です

引用:日テレ

2024年3月31日に林家木久扇さんが笑点を卒業したため、焦点メンバー全員が芸歴上は後輩になりましたが、メンバーは「山田くん」呼びです。

「山田さん」と一般的には呼ばれるところでしょうけれど、親しみやすいキャラクターのおかげですね。

1984年から座布団運びをされていた山田隆夫さんが、1ヶ月間だけお休みをしたことがあります

番組の新人プロデューサーが師匠たちに話を通さず、若手噺家に座布団運びをやらせよう

この企画で若手噺家は雲の上の存在のような名人たちを前に、オロオロするばかりで番組が成り立ちませんでした。

山田くんじゃないとダメだ!

と、円楽さんはプロデューサーをしかりつけました。

歌丸さん

山田くんを戻さないなら、もう『笑点』は他局でやる!

と、騒ぎになり山田隆夫さんは無事復帰することになります。

山田隆夫さんは笑点のメンバーのかけがえのない人なんですね。

五代目圓楽、それに歌丸も、大喜利メンバーを1つの家族と考えていた。だから、林家こん平が病気で休養した際、2人は「代わりに変な芸人入れるぐらいなら、山田くんを大喜利メンバーに」と提案したほどだ。

女性自身

山田隆夫さんが座布団運びをするきっかけは「ちびっ子大喜利」で座布団10枚獲得したこと。

座布団運びは山田隆夫さんが人生のどん底に居た、1984年に「笑点」が手を差し伸べてくれたような形でした。

億万長者の山田隆夫さんは、これからも座布団と幸せを運んでくれるでしょう。

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