大野泰正の祖父・両親は大物政治家!学歴エリートの自宅と実家【画像】

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2003年に出馬して初当選、以後3期連続当選、その後国会議員に2回当選し現在参議院内閣委員長の大野泰正さんは大物政治家一家に育ってます。

祖父、両親や大野泰正さんの学歴と議員になる前の職歴、そして自宅(画像有)をみていきます。

目次

大野泰正(おおの やすただ)

プロフィール

  • 生年月日:1959年5月31日
  • 学歴:慶應義塾大学法学部政治学科
  • 祖父:大野伴陸
  • 父:大野明
  • 母:大野つや子

大野泰正さんは幼稚舎から大学まで慶應というエリートでお坊ちゃまです。

年齢的に妻、もしくは婚姻歴があるのでは?と調べましたが、ネット情報等見当たりませんでした。

職歴

大野泰正さんは1982年に大学卒業後は全日本空輸株式会社に入社してます

祖父、父親は運輸に強い政治家ですので大野泰正さんの就職先も自然な流れで航空会社になったのかもしれませんね。

1990年に父の明さんが第二次海部内閣で運輸大臣として入閣した時、秘書官に就任しました。

1995年、父の明さんが参議院に鞍替えした後は、公設第一秘書を務めてます。

1996年、父の明さんが亡くなり、それに伴う補欠選挙で母のつや子さんが参議院議員に立候補しました。

結果、母のつや子さんは当選し、大野泰正さんは公設第一秘書を務めるようになります。

航空会社を経て議員秘書を13年務めてますが、この議員秘書の経験が議員になった時にとても活かされました。

議員へ

2003年に岐阜県議会議員羽島市選挙区から出馬して当選します。

2013年に岐阜県選挙区から自民党公認で出馬し、初当選です。

ここから、国会議員となりました。

それからは、国土交通大臣政務官、参議院内閣委員長など重要な役職をされています。

やはり、国土交通大臣政務官とは昔でいうところの運輸省系ですね。

庶民派の議員さんのようで、偉ぶる感じはないそうです。

秘書時代に培った腰の低さで、お辞儀の際は腰をほぼ直角に曲げる。好物は、人気アイス「ガリガリ君」。仕事帰りの「スーパー銭湯」通いが息抜きと語り、「庶民派」をアピールする。

朝日新聞

13年間の秘書の経験が活かされてますね。

大野泰正の祖父、両親は大物政治家!

祖父・大野 伴睦(おおの ばんぼく)

大野泰正さんの祖父、伴睦さんは自民党の創設の立役者であり自民党初の副総裁です。

衆議院議長、北海道開開庁発長官をされ、勲一等旭日桐花大授賞と紺綬褒章を授与されてます。

伴睦さんは岐阜県に東海道新幹線岐阜羽島駅を誘致し、岐阜羽島駅前には伴睦さんと奥様夫妻の銅像が立ちました。

ちなみに伴睦さんの父親・直太朗さんは谷合村村長、助役などを務めた立派な方だそうです。

大野泰正さんの曽祖父まで政治家だったとは驚きました。

父・大野 明(おおの あきら)

大野泰正さんの父親・大野明さんは労働大臣、運輸大臣をされて、衆議員議長、自民党副総裁をされました。

明さんは慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学法学部政治学科で大野泰正さんと全く同じです。

親子二代の慶應で学部も同じ、、、政治一家、てこんな感じなんですね。

明さんは大学卒業後、父の伴睦さんの秘書をしてましたが、父・伴睦さんの死去に伴い、後継者として自由民主党から立候補し初当選します。

1996年2月5日、急性心筋梗塞のため67歳で亡くなりました。

母・大野 つや子

1996年、夫・明さん死去に伴う補欠選挙で妻のつや子さんが後継として立候補し当選しました。

つや子さんは参議院議員として通算2期務め、初代法務大臣政務官を務めてます。

大野泰正さんの母・つや子さんは2021年1月26日に亡くなっています。

大野泰正の祖父、両親は大物政治家!実家と自宅【画像】

祖父・大野 伴睦さん自宅

大野伴睦さんの自宅ですが、祖父の家ということは大野泰正さんの実家です。

東京都港区芝下高輪町と岐阜県山県市の一軒家です。

父・大野明さん自宅

大野明さんの自宅ですが、父の家ということは大野泰正さんの実家です。

東京都品川区の分譲マンションです。

大野泰正さん自宅

岐阜県羽島市福寿町千代田1丁目分譲マンションです。

大野泰正さんは曾祖父の代から大臣をされていた大物政治家一家、そして政治家によく聞く世襲をし、親子揃って慶應のエリートでした。

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