大堀彩の両親も元バド選手!でも恵まれた環境じゃなかった苦労人!!

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パリオリンピック、バドミントン女子代表大堀彩選手はサウスポーから角度あるショットが武器でオリンピック初出場!

両親、姉は元バドミントン選手で父親は名コーチというバドミントンのエリート一家に生まれ、恵まれた環境の大堀彩選手。

ところが、育った環境、父親がコーチという親子関係など、順風満帆とはいかなかった苦労人です。

そんな、パリオリンピック初出場を掴んだ大堀彩選手を見ていきましょう。

目次

大堀彩の両親も元バド選手!父親は均

https://www.instagram.com/p/C9EahhPSNx9/

名前:大堀均(おおほり ひとし)
出身:栃木県日光市
在住:富山県高岡市
出身高校:栃木県立今市高等学校
出身大学:日本体育大学
選手時代の成績:全日本ジュニア単優勝
        全日本総合複2位

大堀彩選手の父親・均さんはバドミントン選手時代に優勝、全日本2位と、素晴らしい成績を残した選手です。

そして、指導者としても、結果を残す名コーチです。

職歴
・トナミ運輸のバドミントン選手(1991年4月1日〜1995年3月31日)
・福島県会津工業高等学校の教諭(1995年4月1日〜1999年3月31日)
・福島県立富岡高等学校の教諭(2006年4月1日〜2017年3月31日)
・トナミ運輸バドミントン部ヘッドコーチ(2017年4月1日〜現在)
・日本バドミントン協会ジュニアナショナルチームヘッドコーチ(2022年4月1日〜現在)

2012年にはインターハイ女子団体優勝、世界選手権では桃田賢斗選手を日本勢初の頂点に導くなど、大きな成果を残してます。

パリオリンピックでは富岡高校の教え子が日本代表12人中5人も出場です。

・大堀彩(女子シングルス、初出場)
・渡辺勇大(混合ダブルス、東京五輪銅メダル)
・東野有紗(混合ダブルス、東京五輪銅メダル)
・保木卓朗(男子ダブルス、初出場)
・小林優吾(男子ダブルス、初出場)

https://www.facebook.com/photo/?fbid=3769291046723119&set=ecnf.100009267833953&locale=ja_JP

大堀彩の両親も元バド選手!母親は麻紀

「相馬屋」佐藤社長に真希さんはバドミントンを教えていました。

・名前:大堀麻紀(おおほり まき)
・出身大学:日本体育大学
・実業団三協アルミ:バドミントン選手
・現在:日本小学生バドミントン連盟選手強化部

大堀彩選手の母親・真希さんは

・女子ダブルス第3位(高校2年)
・全日本学生バドミントン選手権大会女子ダブルス準優勝(日本体育大学)

大学卒業後は実業団で活躍されています。

大堀彩の姉も元バド選手!姉は大堀優

http://www.kantoibf.com/game/000150.html

・名前:大堀優(おおほり ゆう)現在:齋藤ゆう
・出身大学:青山大学

大堀彩選手の姉・優さんもバドミントン選手です。

バドミントン選手として数々のご活躍で青山大学時代に関東学生バドミントン選手権で準優勝されてます。

2018年6月にご結婚されました。

お相手はNTT東日本バドミントン部に所属する齋藤太一さん

結婚式には新郎と同じNTT東日本バドミントン部に所属する桃田賢斗さんもご出席し祝福されてます。

Instagramより

大堀彩は苦労人

Instagramより

実業団で活躍した両親の影響で3歳からラケットを握っていた大堀彩選手。

両親、姉がバドミントン選手で父親が名コーチ。

バドミントン選手なら、羨ましい環境だと思います。

でも、大堀彩選手は順風満帆な競技人生ではありません。

・2011年3月東日本大震災(当時14歳)
 →避難所生活
 →自宅に戻れない
・父親がコーチ
 →他の人と同じことをしても自分だけ怒られる
 →バドミントンのことしか話さずバチバチした時期がある

2011年3月東日本大震災

震災当日、体育館で練習されていたそうです。

町が津波に飲まれ、自宅に帰れずその日は学校のグランドに車を持ってきて寝ましたが、次の日に爆発。

すぐに避難所へ移動し、その後、福島県外を転々とすることになります。

生きることに精一杯でバドミントンどころではないですよね。

そんな中でたくさんの人たちの支えがあり、競技を続けることができたことに感謝されてます。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tut/1185709?page=2

父親がコーチ

https://www.nikkansports.com/olympic/paris2024/badminton/photonews/photonews_nsInc_202407170001974-1.html

父親がコーチで、自分だけが怒られる、今は理解できるけど、若い時は

チームメートと同じことをしても自分だけ怒られて『なんで?』

と、バチバチしていた時期があったそうです。

また、家族の会話もなかったようです。

「(父は)昔から指導者のイメージがあって、家でもバドミントン以外の話をした記憶はないです」。均さんが監督を務める富岡高に進むと、人一倍厳しい指導を受けた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f2100aaae3d0876d99a20557d196b3ca0398fad6

そんな親子関係でしたが、大堀彩選手がB代表に降格し、引退を考えた時に父親の均さんの言葉に救われます。

均さんの言葉で「後悔ないようにあと1年だけやり遂げる」と決めました。

その頃、自宅で家族で食卓を囲んでいた時、悩み続ける大堀選手に均さんがこう話した。「まだやりきれていないよね」。自らも選手だったからこそ分かることがある。このタイミングで選手生活を終えると、自分が勝てないことを他人のせいにして、人への不信感を抱えたまま人生を送ることになりかねない。

 「落とした人を見返そう」「やり切ろう。そういう終わり方をしよう」「次の五輪に出られるかどうかは関係ない。そこまでやって決めればいい」

https://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/feature/CO076260/20240704-OYTAT50016

後1年だけやり遂げる」と決めた大堀彩選手は

これが最後だ

と、思いながら毎試合全力で戦います。

やり切る気持ちが芽生え、受け身だった練習も自分の意見を言いつつ

間違ってたら言ってほしい

と、積極的になりました。

そして、約半年後の国内大会で優勝し、A代表に返り咲きします。

バチバチしていた父親・均さんとの関係も良好になり、素直になれたようです。

「厳しい父だが、自分を犠牲にしてここまで育ててくれた。パリも一緒に挑みたい」

https://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/feature/CO076260/20240704-OYTAT50016

大堀彩選手のご活躍を心から祈ってます。

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