衆議院議員で政界のサラブレッド中曽根康隆さんの義弟、川鍋一朗さんは日本No. 1タクシーアプリ「GO」運営のGO株式会社の会長です。
その川鍋一朗さんの学歴、経歴、家族を調べてみると、輝かしく、華麗で庶民とはかけ離れたものでした。
一方で、巨額の負債を抱えて苦しんだこともあります。
そんな川鍋一朗さんの学歴、経歴、家族が気になりませんか?
調べてみたので、ご紹介しますね。
川鍋一朗 wiki風プロフィール
- 名前:川鍋 一朗(かわなべ いちろう)
- 誕生日:1970年10月3日(2024年3月現在53歳)
- 出身地:東京都港区
- 住まい:東京都港区
- 出身校:慶応義塾大学経済学部卒業(1993年)23歳
- ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修了・MBA取得(1997年)27歳
- 就職:マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社(1997年)27歳
- 家業に就職:日本交通株式会社入社(2000年)29歳
- 現在:GO株式会社会長、全国ハイヤー・タクシー連合会の会長、日本交通株式会社の取締役
日本交通株式会社入社後は専務、副社長、社長を経て現在の会長となりました。
学歴、経歴、ともに輝かしく素晴らしいですね。
順風満帆な人生のようで羨ましくなりますね。
川鍋一朗の学歴
川鍋一朗さんは幼稚園から大学まで慶應義塾という生粋のおぼっちゃまです。
日本交通株式会社の創業者である祖父・川鍋秋蔵さんに物心ついた頃から
お前が跡取りだ、お前が3代目だ
と、川鍋一朗さんに刷り込み、周りの大人にもそう紹介していたそうです。
川鍋一朗さんも、いつからか
大人になったら日本交通の社長になるんだ
と、思うようになります。
大学では体育会スキー部に入部、勉強はそこそこにして体育会活動に打ち込み、4年の時には主将になりました。
川鍋一朗さんは常に
社長になるためには何が必要か
を考えていました。
主将になったのも、リーダーシップを学ためにスキー部の主将になろう、と心に決め、主将になりました。
大学生の頃から、社長になるために必要なことをいつも考えていたとはただの御曹司ではありませんね。
そして、アメリカ留学・MBA取得も社長に必要だ、と考えたからです。
MBA留学すれば、経営と同時に社長に必要な英語も学べる。
MBA留学は自分のためにあるんじゃないか。
ノースウェスタン大学では勉強に力を入れたそうです。
幼稚園から大学まで内部進学だったので、必死に勉強をしたことなかった川鍋一朗さんですが、
必死に勉強したらどこまでやれるのか
と、興味も湧き、人生の中で初めて必死に勉強したそうですよ。
結果、わかったことは
自分はちゃんと勉強すればそれなりにちゃんとできる
世界中から優秀な学生が集まってましたが、川鍋一朗さんはその学生たちと比較しても大差はない、と思ったそうです。
日本で英語の学習はしていたと思いますが、アメリカで英語での授業や経営学を学ぶというのはきっと大変なことですよね。
かなりの努力家だと思いませんか?
川鍋一朗の経歴
川鍋一朗さんは帰国後、就職します。
このマッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンは大手の外資系コンサルティング会社で就職が非常に難しい企業。
入社できても、数字で結果を出さなければいけませんし、常に緊張感があったそうです。
でも、年収は従業員によっては2,000万円稼げる企業ですので、やりがいがある優良企業に就職されてますね。
とても良い企業ですが、川鍋一朗さんはマッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンの採用面接で
私は最長5年しかいないと思いますので
と、言ったそうです。
あくまでも日本交通株式会社の社長になるための修行なんですね。
川鍋一朗さんは本当に、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンを3年で退社し、2000年29歳の時に実家の企業である日本交通株式会社に入社します。
川鍋一朗の負債
川鍋一朗さんが日本交通株式会社に入社した当時、会社は大きな負債を抱えていました。
倒産寸前だった会社をコストの大幅削減、アプリ開発、専用乗り場の開始、ドライブレコーダーの導入など大胆な経営改革でV字回復します。
2007年末には社長川鍋一朗さん自ら、タクシー運転手として1ヶ月ほど勤務し、話題を集めることに成功。
負債の原因は本業の交通事業ではなく、バブルで抱えた不動産や他業種の経営だったそうですが、1,900億円の負債があることを承知で実家の事業に戻った川鍋一朗さんはすごい方ですね。
そして見事に回復させたところもただの御曹司ではありませんね。
川鍋一朗の祖先
川鍋一朗さんの祖父・秋蔵さんが日本交通株式会社の創業者で父・達朗さんが2代目社長という創業一族です。
これだけでも名門、と言えると思いますが、母方も名門でした。
母方の祖父は広瀬治郎さん・集成社取締役、日本陶器社長、祖母は桜子さんでその父親は藤山雷太さん。
藤山雷太さんは
関係企業は
- 大日本精糖(現在は大日本明治製糖)
- 日本コロムビア
- 日東金属鉱山
- 日東製紙
- 日東物産商事
- 等々……
藤山コンツェルンは財閥でしたが、藤山雷太さんが死去した後、グループとしての藤山コンツェルンは解体しました。
父方、母方ともに名門ということから、華麗なる一族といえますね。
ちなみに、川鍋一朗さんはハーフでは?とネットで囁かれているようですが、ハーフではありません。
彫りの深いイケメンですから、そう思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
川鍋一朗さんの母方は中国を先祖に持っているのでその影響でしょうか。
川鍋一朗の家族
川鍋一朗の妻
川鍋一朗さんは中曽根康隆さんの義弟です。
中曽根康隆さんの実の妹と川鍋一朗さんは結婚したので「義弟」になりますが中曽根康隆さんは1982年生まれ。(2024年3月現在42歳)
川鍋一朗さんの11歳下の義理の弟ということになります。
ずいぶん年下の弟ですね。
衆議院議員の中曽根康隆さんが兄、外務大臣や自民党参議院会長を務めた中曽根弘文さんが父親、内閣総理大臣を務めた中曽根康弘さんが祖父、というこちらも華麗なる一族の妻です。
川鍋一朗さんの妻プロフィール
- 妻:文子(あやこ)旧姓(中曽根)
- 出会い:2008年6月7日
- 結婚:2009年10月
- 年齢:1980年生まれ(2024年3月現在43歳か44歳)
- 慶應義塾大学卒業
妻の文子さんは大学時代は4年間、体育会ゴルフ部でした。
川鍋一朗さんと文子さんは2009年10月に結婚しました。
その結婚式は華麗なる一族同士でしたので豪華絢爛だったようですよ。
トレーン(裾)が長いウェディングドレス、憧れますね。
12世紀頃はトレーンの長さが身分の高さを表すとされてましたが、現在は身分など関係ありません。
でも文子さんのドレスはプリンセスのようですね。
写真は左側が川鍋家、右側が中曽根家です。
まさに華麗なる一族大集合!になっちゃってますね。
川鍋一朗の子ども
1人目は2013年7月に女の子が誕生。
川鍋一朗さんは仕事もこなしながら、家庭では子育てに参加するイクメンだそうですよ。
2013年10月のブログです。
この赤ちゃんのお名前はブログでわかりました。
2014年1月のブログです
川鍋一朗さんの母方の祖母と同じ漢字のお名前ですね。
桜子ちゃん、1歳10ヶ月でお姉さんになりました。
2017年4月5日、SNSに投稿されたものです。
3人目を出産して退院したところかと思いましたが、赤ちゃんが少し大きいですね。
生後3ヶ月くらいでしょうか?
文子さんが抱っこしている赤ちゃんは頭にかわいらしいヘアーバンドをしてますし、おくるみもピンクですから女の子でしょうね。
それぞれのお名前ですが長女「桜子(さこ)」ちゃん、長男「あつき」くん、次女「なおみ」ちゃんのようですよ。
お父さんと同じでタクシーのことで頭がいっぱいのようですね。
2024年3月現在
・長女 「桜子(さこ)」ちゃん 10歳
・長男 「あつき」くん 8歳
・次女 「なおみ」ちゃん 7歳くらい
川鍋一朗さん、イクメンではない、と言ってますが、父親として公園に連れて行くことは当然のこと、と考えてるかもしれませんね。
父親が育児参加してくれると心強いですよね。
特に初めての子どもは心配が多くなってしまうので川鍋一朗さんのイクメンぶり、素敵だと思いませんか?
まとめ
川鍋一朗さんの学歴、経歴、家族を調べました。
華やかで輝かしい学歴、経歴、家系ですが、実家の家業を継いだ当時は多額の負債を抱え、川鍋一朗さんの経営手腕で見事、V字回復されています。
華麗なる一族の御曹司ですが立派な経営者でした。
家族は5人家族で一男二女。
妻も祖父が総理大臣、父が外務大臣を務めた政界の華麗なる一族でした。
これからも川鍋一朗さんは新たな一手を繰り出して私たちを驚かせてくれることを期待しています。