2024年パリ五輪日本代表選手団の騎手を務めるブレイキン男子の半井重幸(ダンサー名・シゲキックス)さんは国内外の大会で優勝多数の日本のエースです。
7歳からブレイキンを始めますが、並行して習い事がほぼ毎日あったので半井重幸さん自身は当時、「僕はいつ寝る時間があるんだ?」と思っていたそうです。
父親と母親の厳しい教育方針と、ほぼ毎日あったという習い事が「今はかえってありがたく思っている」とのことですので見ていきましょう。
半井重幸の父親と母親は厳しかった!
やるべきことはやる!
ブレイキンをする子どもが少なく、一般的でないこともわかっていたので父親と母親からは
(父親と母親)
一般的ではないことをしているのだから、その分、当然やるべきことは人一倍やらないとだめだ
と、言われていました。
- 宿題が終わらなければ、練習には行かせない
- 習い事に(ほぼ毎日)行く
これを守らなければ、大好きな練習に行けませんでした。
現在でも、ブレイキンをよくわからない、という方もいらっしゃるかもしれませんが、半井重幸さんが7歳の2009年頃はもっと知られてなかったでしょうね。
ファッションからも誤解を招いていた時代かもしれません。
その分、きちんとしなさい、という事だったんでしょうね。
海外遠征は自分1人で
小学生の頃から、海外の大会に出場されていた半井重幸さん。
最初の頃は、両親が付き添ったり、同じ大会に出場する大人に頼っていましたが、なんと中学生になってからは自分1人で海外遠征に行っていました。
上の写真は2014年ですので半井重幸さんは当時12歳。
フランス大会にkazukirocさんと出発前の写真です。
本当に自分で世界を旅してました。
そして、英語でのコメント。習い事の英会話をしっかりと習得されてます。
和訳すると
@kazukiroc と一緒にフランスへ行ってきます!!
オールスタイルバトルゲストです。
私たちの旅を楽しみにしています!!
13歳や14歳から、世界を一人旅とは内心、親も心配だったでしょうね。
ですが、たくさんの習い事(後述します)のおかげで、半井重幸さんは自立心が育まれていたそうです。
半井重幸の父親と母親は厳しかった!父親は甘い?!
半井重幸さんの父親は会社員の「半井重弥」さんです。
父親は「見守ってくれている」と半井重幸さんはおっしゃってます。
子どもに甘いタイプなのでしょうか。
半井重幸さんが興味を持ち、活動を始めたブレイキンですが、父親は
ですが、マウンテンバイクが趣味の父親は、山を自転車で走った時の写真などを半井重幸さんに送っているそうです。
それを見て半井重幸さんはリラックスできるそうだとか。
「僕が世界で戦っていようが、どんな重圧と向き合っていようが、いい意味で関係ない。すごく日常的な会話をします」
産經新聞
そんな父親のことを半井重幸さんはインタビューで次のように話されてました。
(半井重幸さん)
ブレイキンに興味を持っているけど詳しいわけではなく、とにかく見守っていてくれる感じ。(母と)バランスが取れているんだと思います
見守られている、という安心感を与えてくれる存在の良い父親ですね。
半井重幸の父親と母親は厳しかった!母親はマジで厳しい!
半井重幸の母親は路美
半井重幸さんの母親は半井路美さんです。
母親はアクティブな方で海外に10代の頃から自分で貯金して行くような方でした。
(母親)
何をするにも世界を見てほしい。
世界はもっと広いんだから、物事を見る時はその地域レベル、国レベルでは捉えないように。
と、半井重幸さんが小さい時からおっしゃっていたそうです。
自分で貯金をして、海外に見分を広められた方の発言には説得力がありますね。
半井重幸さん9歳の頃、海外の大会で踊った動画がインターネットで注目され、大きなリアクションやポジティブな評価をもらった時、
(半井重幸さん)
もっと世界で活躍したい
世界を見たい
と思ったそうです。
そして、母親が言っていたことが少しですが、わかった気がしたとか。
母親はマジで厳しい!
ブレイキンについてはかなりの情報通で、半井重幸さんより詳しいぐらい、と半井重幸さんは話されてます。
そして母親は
やると決めたことには一切の言い訳を許さないタイプ
だそうです。
言い訳は良くないとは思いますが、厳しくないですか?
でも、このおかげで国内外の大会で数多く優勝する半井重幸さんがいらっしゃるんですね。
現在、ブレイキンで大活躍中の半井重幸さんは母親から助言をもらったりしているのだとか。
(半井重幸さん)
仲はいいけど、ちょっと師匠感があって緊張する
父親は見守り、母親は叱咤激励する。
確かにバランスが取れてます。
半井重幸の父親と母親の教育方針で習い事がほぼ毎日
半井重幸さんの習い事
- 水泳(泳げた方がいい)
- 英会話(小学校入学頃から中学校3年生まで)
- トランポリン
- 学習塾
ほぼ毎日が習い事でした。
宿題が終わらなければ練習には行かせてもらえないし、習い事にもほぼ毎日通っていた。英会話は幼稚園から中学3年生まで続けましたし、トランポリンや水泳を習ったり、学習塾にも通ったり。『僕はいつ寝る時間があるんだ?』と思いながら、ダンスをするために毎日必死でした(笑)。
GROWING
4歳上の姉と同じ習い事が多かったのですが、これは両親の教育方針からなんです。
いろんなものに触れ、自分が『これだ』と思うもの、好きなものを探せ
何か、自分が興味を持てるものに出会うために習い事に行かせてたんですね。
親が決めたものではなく、自分が興味を持ち、やりたい、と思えることに巡り合うように、との親心です。
そして、海外で活躍されてますので英会話は抜群に役立ってます。
自身の幼少期をこう振り返った半井さんは「すべてが少なからず、何かしらプラスに働いています。英会話なんか、本当にそうですね」
産經新聞
半井重幸がブレイキン始めるきっかけは姉・AYANE
4歳年上の姉・半井彩弥(AYANE)さんに影響を受け、半井重幸さんはブレイキンを始めました。
関西ストリートダンスの聖地・大阪シティエアターミナル地下1階にあるポンテ広場でブレイキンと運命の出会いを果たします。
姉について行ったポンテ広場では20代や30代の大人たちがアクロバティックなダンスムーブを繰り広げていて、
(半井重幸さん)
人間ってこんな動きができるんだ
とすっかり心を奪われてしまいます。
これがブレイキンを始めたきっかけとなりました。
そのきっかけとなった場所、大阪シティエアターミナル地下1階にあるポンテ広場です。
ここに集まるダンサーはプロもいますが、大半は学校や仕事との両立。
そのため練習が始まるのは夜の9時からという遅い時間でした。
半井重幸少年はこの空間にワクワクされていたと話されてます。
(半井重幸さん)
大人の空間にお邪魔している感じで楽しかった
半井重幸さんの父親と母親は厳しいですが、自立して世界を広く見ることができるよう、立派に半井重幸さんを育て上げてます。
そして寝る時間もないほどの習い事も、興味を持てるものに出会うためと自立心を育てることに大いに役立っています。
素敵なご両親に育てられた半井重幸さんが金メダルを受賞する姿を早く見たいですね。