ロバート秋山さんや土屋太鳳さんなどものまねレパートリーを多く持ちYouTubeでも人気の明るい丸山礼さん。
その明るさとは裏腹な苦しかった生い立ちでした。
丸山礼さんの家族構成や母子家庭で苦労された家庭環境、学生時代などを調べてみました。
丸山礼はどんな人?
プロフィール
- 本名:丸山 礼(まるやま れい)
- 生年月日:1997年4月1日
- 出身地:北海道北見市
- 学歴:北見藤女子高等学校
- 出身:ワタナベコメディスクール22期(特待生)
丸山礼の父親と母親が離婚
丸山礼さんの家庭は両親の仲が険悪で、お兄さんも思春期になるとイライラしだして、小学生の丸山礼さんにもわかるぐらい、家の中はギスギスしてました。
あまりにも、家庭内がギスギスしていることに耐えられなかったのでしょう。
こんなことを言ったこともありました。
丸山礼さんが小学6年生の時に両親は離婚しています。
両親がいがみ合った後、泣いている母の背中を私がさする毎日で、今思い出しても涙が出ます。結局、両親は小6のときに離婚しました。
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お母さんは離婚に際して、いろいろ勉強したようで、週に1回は父親と会える時間を作るなど、なるべく丸山礼さんに負荷がかからないようにしてくれました。
両親が離婚した当時はシングルマザーの家の子ども同士で『しんどいよねー』とか公園で話していたそうです。
丸山礼はどんな人?母子家庭で育つ
丸山礼さんは母と5歳上のお兄さんとともに、母子家庭で育ちました。
お母さんが一家の大黒柱として支える生活は大変だったようです。
家賃1万7000円の築30年の団地で生活する中、お母さんは家庭を支えようと 早朝からホテルの清掃、昼から夜は受付係と必死で働いてくれてました。
朝から晩まで子どもたちの為に働いてくれてるお母さんと丸山礼さんは、いろんな話ができないくらい一緒にいる時間はなかったそうです。
仕事が忙しすぎるほど働くお母さんを、見守るしかできなかった丸山礼さんは辛かった、と話してます。
お母さんは年も取っていくし、体も追いつかなくて、すごくいつも疲れている感じだったからです。
丸山礼さんはそういうお母さんを見ることや中学生だから働けない自分も辛かったようでした。
築30年の団地に家賃1万7000円で生活する中、母は家庭を支えようと 早朝からホテルの清掃、昼から夜は受付係と必死で働き、育ててくれたという。「親もそんな深くしゃべるぐらい一緒にいる時間はなかった。仕事が忙しすぎて…お母さん、年も取っていくし、体は追いつかないし、すごいいつも疲れている感じだった。見守るしかできなかったので、それがしんどかった。自分は働けないし、中学生の頃」と涙ぐみながら振り返った。
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丸山礼の小・中学生時代も波乱万丈
小学生の丸山礼はテストで100点ばかりだった
丸山礼さんは子どもの頃からひょうきんで、小学校の教室で男子とよくふざけていたそうです。
5歳上のお兄さんがいたので、男子とやり合うのは慣れてました。
勉強もできた方だったようです。
学校のテストで100点をいっぱい取ってくるのでお母さんは驚いてました。
丸山礼は保健室通いの中学生
丸山礼さんは中学では吹奏楽部に入って、トロンボーンを担当しました。
定期演奏会や文化祭で演奏し、生徒会活動にも燃え、楽しい学校生活を送っています。
ですが、家庭環境以外にも、思春期の悩みはいろいろと経験したそうです。
丸山礼さんは3歳から続けていたスイミングを12歳で辞めました。
スイミングを辞めても食べる量を変えなかったので太ってしまったそうです。
そしてメガネをかけていたのもコンプレックスでした。
丸山礼さんが中2のとき、SNSの書き込みで友だちともめて、誰とも口をきかない時期がありました。
成績も落ちてしまって、助けを求めて駆け込んだのが保健室でした。
中学2年のときにある友人との関係に悩み、別の友人に愚痴を言ったところ、本人に伝わってしまいました。私が関係に悩んでいた相手はクラスの中心的な存在だったので、私から他のクラスメートに話しかけづらい雰囲気になり、休み時間は机に突っ伏して過ごすようになりました。担任にも相談しましたが「自分で解決できると思うよ」と言われてしまいました。
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保健室の養護教諭の先生は、気分が落ちてどうしようもない丸山礼さんに寄り添って、いろいろ話を聞いてくれました。
保健室があると考えるだけで気持ちが軽くなって、とても近い立ち位置から応援してくれる先生もすごいなって思ったそうです。
この頃から、「自分も将来、養護教諭になりたい」と考えていました。
丸山礼はどんな人?高校時代にお笑いへ
高校の入学式で生徒会入り
高校の入学式に臨んだ丸山礼さんですが気になることがありました。
それは、校歌を歌う同級生たちの声の小ささだったそうです。
丸山礼さんは先生にこの学校を盛り上げたい、と相談したところ『生徒会やりなよ』と言われ、生徒会に入ったそうです。
覇気 がないように感じて、『私がこの学校を盛り上げたい』と思ってしまったんです。先生に相談したら『生徒会やりなよ』と言われました。それから3年間、バリバリやらせてもらいました。
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高2、ものまねの番組のオーディション
もともと、ものまねが好きな丸山礼さんは、個性的な先生を見るとすぐまねしていました。
授業の休み時間に披露していると、クラスの子たちがリクエストしてくれるようになったそうです。
そのうちに、芸能人のものまねもするようになりました。
高2のとき、動画を撮ってテレビ番組や芸能事務所に送ったり、オーディションを受けたりしたそうですが、どこも音沙汰なしだったそうです。
高3、特進クラスとアリエル
丸山礼さんは成績がとても優秀で高校3年生の時には特進クラスでした。
小学校の頃からずっとお勉強ができる子だったんですね。
勉強だけでなく、生徒会活動やパフォーマンスにも燃えていました。
高3の時は文化祭でディズニーアニメ『リトル・マーメイド』のアリエルの人魚姿と貝殻のセットで歌い、大爆笑をとってます。
高3のときはディズニーアニメ『リトル・マーメイド』のアリエルになりきって歌いました。貝殻のセットに人魚のかっこうで登場するとみんな大爆笑です。歌はかなりガチで歌いました。観客がだんだん笑いから感動に変わっていくのを肌で感じました。気持ちよかったです。
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事務所から連絡
高3の夏に東京のお笑い芸人の養成所から電話がかかってきました。
高2のとき、動画を撮ってテレビ番組とか芸能事務所とかに送っていましたが、しばらく音沙汰がなかったので驚いたそうです。
その電話で、面白い女の子を探す全国オーディションを開催するので出てみないか、と言われ出てみたら、なんと優勝してしました。
高校2年生の時にものまねの番組のオーディションを受けてみたんです。でも音沙汰がなかったので「いいや」と諦めて「教育大に行こうかな」と、普通に進学を考えていました。そうしたら高3の夏になっていきなり電話がかかってきたんですよ。身に覚えがなくて「何の電話?」と思ったんですけど、高2の時に今の事務所にも応募していたんですよね(笑)。それで女性芸人のオーディション『オモ女グランプリ』を受けてみないかと声をかけてもらって、最優秀賞を頂いたんです。
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「すごくいい。養成所に入りませんか」と誘われた丸山礼さんは、そのときは養護教諭になるつもりだったので、「家の人や学校の先生にも相談したい」といったん返事を保留しました。
養成所は特待生でした。
丸山礼と兄の学費
成績優秀な丸山礼さんは勉強を頑張って教育大学に進み、保健室の先生(養護教諭)を目指していました。
でも丸山礼さんが高校生の時、お兄さんは私立の4年制大学に通っていたのです。
「私が高校の時に兄が大学に行っていて、私立の4年制の資金を母で全部まかなってたから。それを見た時に、また自分が4年通うことによって、負担が増えると思うと、絶対に無理だと思って。お母さんいないと生きられないと知ってたから。お母さんを悲しませない、お母さんを泣かせないために生きる」
スポニチ
一人で家計を支え、兄の大学進学のための費用も全て負担していたお母さんに、これ以上負担をかけられない、ということも大学進学を諦めた理由の一つです。
お笑いの道と先生の道
養護教諭と芸人、どちらに進むかとても悩んだそうです。
養護教諭の仕事に憧れ、大学受験を考えていた丸山礼さんですが、「保健の先生になって学生を応援するのは憧れだったけど、芸人さんになればより多くの人を応援できるかもしれない」と考えました。
悩みに悩んだ末、最終的にお笑いの道に進みます。
すごく悩みました。でも、保健室の先生の道はあとからでも勉強して目指せる道。お笑いの道はきっと今しかできないし、まだ分別のつかない“17歳の勢い”で行けるのかも、と思ったんですよね。それにテレビに出た方が、もっと多くの子供たちを笑わせられるじゃないですか。本当に悩んで、親や身内にも泣きながら話したんですが、分かってくれて、それで上京することになりました。
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まとめ
ものまねやYouTubeで私たちを楽しませてくれる丸山礼さんの家族構成や母子家庭で苦労された家庭環境、学生時代をみていきました。
辛いことや悲しいことがあってもみんなを笑顔にしてくれる強さを持っていて素晴らしいですね。
これからもメディア、SNS、ライブなど多方面で活躍される丸山礼さんを応援します。