【小林製薬社長】父親が会長・一雅は元国体スケート選手、大学2校

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現在の小林製薬の代表取締役社長は小林章浩さんですが父親の小林一雅さんが代表取締役会長です。

現会長の一雅さんは国体に出場されたことがあるフィギュアスケート選手で、大学に2校行かれてます。

一雅さんの学歴、家族、元国体フィギュアスケート選手の過去を見ていきましょう。

この記事でわかること

・小林一雅さんの学歴
・小林一雅さんの家族
・小林一雅さんの元国体フィギュアスケート選手の過去

目次
引用:小林製薬
  • 名前:小林一雅(こばやし かずまさ)
  • 生年月日:1939年9月19日(2024年4月時点84歳)
  • 出身地:兵庫県
  • 中学:甲南中学校卒業
  • 高校:甲南高校卒業
  • 大学:甲南大学経済学部卒業
  • 大学:コロンビア大学留学(1965年26歳)

一雅さんは甲南中学校に入るために、小学生の時から受験勉強をされていました。

子どもの頃から、名門といわれる甲南中学校に憧れがあったそうです。

甲南中学、甲南高校は私立男子中高一貫校で「東の慶應、西の甲南」といわれる名門。

甲南高等学校・中学校

引用:甲南高等学校・中学校HP
引用:甲南高等学校・中学校HP

甲南中学校の偏差値:58

さすが、西の甲南、偏差値が高いですね。

中高一貫校ですので、高校はそのまま進学。

大学は推薦で甲南大学に進学されてます。

一雅さんは大学卒業後のすぐ、1962年3月に小林製薬に入社。

もう1つの大学、コロンビア大学へは1年間留学されてますが、1964年にアメリカのメーカーの招待で、視察に行ったことで留学を決意しました。

日本はこの国から50年ぐらい遅れている。本格的にメーカーを目指すなら、アメリカで学ばなければならない

一雅さんは帰国後、英語を猛勉強し、専務以下、取締役全員の反対を押し切って、1年間留学されてます。

小林章弘さん(現小林製薬社長)

  • 妻:道子(40代で他界)
  • 長女:一般人の為公表されてません
  • 長男:章浩(あきひろ)現在小林製薬代表取締役社長
  • 次女:一般人の為公表されてません

長女と次女は、現社長の章浩さんの姉と妹です。

2人とも、会社とは全く関係ないところに嫁いでいますので非公表になってます。

一雅さんの父親は小林製薬の2代目社長・小林三郎さん

小林三郎さん

一雅さんは長男として生まれました。

一雅さんの母親は小林映子さん(小林製薬3代目社長)

小林映子さん

一雅さんの父親が急逝し、社長に母の暎子さんが就任。

一雅さんの祖父は小林吉太郎さんで小林製薬の初代社長

小林吉太郎さん

2代目社長であり一雅さんの父親・三郎さんは娘婿です。

一雅さんの曽祖父は小林忠兵衞さんで小林製薬の前身の「合名会社小林盛大堂」を創業者

小林忠兵衞さん

一雅さんは小林製薬の御曹司です。

引用:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45674740U9A600C

一雅さんは中学2年の時に学校の先輩に誘われ、フィギュアスケートを始めました

氷の上を滑ることが面白く、体格的にも自分に合っていてのめり込んだそうです。

かなり努力をされたそうで、高校3年歳の時に国体に出場しました。

フィギュアスケートは幼い頃からの積み重ねがものをいう世界、というイメージがありますので、中学2年から始めて国体出場は凄いことですね。

一雅さんは

大学でもスケートを続けたい

できれば、オリンピックに出場したい

と、考えフィギュアスケート部がある甲南大学を志望します。

ですが、父親は国公立大学に進学させたがっていたので揉めに揉めたそうです。

この頃から

一途で頑固な性格

だったようですよ。

大学に入学してからは、勉強とスケートの両立をされ、大学時代は4年間、国体に出場

大学4年生のときは、全日本6位

立派な成績を残してます。

ですが、幼い頃からオリンピック目指しているライバルには勝てず、オリンピック出場は叶いませんでいた。

やる時には徹底的に集中する

これが、一雅さんのやり方で勉強とスケートを両立できたコツかもしれませんね。

小林製薬現会長である、小林一雅さんの学歴、家族、元国体フィギュアスケート選手だった過去をご紹介しました。

一雅さんは努力され、進学し、スケートでも大成されました。

これからも、その姿勢を見守っていきたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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