国民的グループ、キャンディーズの蘭ちゃん。
普通の女の子に戻りたい、と当時流行語にもなった言葉を叫び、人気絶頂期に引退をして世間を驚かせました。
その蘭ちゃんの家族は超有名人。
早速、みていきましょう。
伊藤蘭プロフィール
伊藤蘭プロフィール
- 本名:水谷 蘭
- 生年月日:1955年1月13日
- 出身地:東京都武蔵野市
- 学歴:日本大学第二高等学校卒業
- :日本大学芸術学部演劇科中退
- 職業:女優・ナレーター・歌手
- 家族:水谷豊(夫)趣里(長女)
キャンディーズとしてのご活躍前にスクールメイツで芸能界デビューされてます。
歌手の後ろでポンポンなどを持ったりして踊る女の子たち、いわゆるバックダンサーをされてました。
当時、人気のあったフォーリーブスのバックで踊りたかったようです。
その後「歌謡グランドショー」のマスコットガールのオーディションに合格。
一緒に合格したのが、田中好子さんと藤谷美樹さん。
この3人でグループを結成しています。
キャンディーズの誕生ですね。
伊藤蘭キャンディーズ
オーディション合格した3人はキャンディーズとして1973年9月1日に「あなたに夢中」で歌手デビュー。
センターのイメージが強いランちゃんですが、左サイドでした。
5曲目シングル「年下の男の子」からセンターとなります。
そのあとはずっとセンターだったのでそのイメージが強いですね。
アイドルでしたが、当時としては珍しくバラエティーへの出演が多いアイドルで、コントにも積極的にトライされお茶の間の人気者でした。
伊藤蘭キャンディーズ解散
人気絶頂期の1977年7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート中、突然キャンディーズが解散を宣言しました。
その時にランちゃんが泣き叫びながら
「普通の女の子に戻りたい!」
と発言し、流行語になってます。
とても人気があったので、まさか解散するなんて激震でした。
伊藤蘭 結婚
水谷豊プロフィール
- 本名:水谷 豊
- 生年月日:1952年7月14日
- 出生地:北海道芦別市
- 出身地:東京都立川市
- 学歴:大成高等学校
- 職業:俳優・歌手
伊藤蘭との馴れ初め
初めて伊藤蘭さんに会ったのは「週刊平凡」の表紙撮影。
キャンディーズのファンだった水谷豊さんは撮影中、ひと言も話せなかったそうです。
撮影後、スタッフに頼み込んでキャンディーズを撮影が行われたビルの玄関に来てもらいました。
やっと会えた伊藤蘭さんに、出た言葉は「握手してください」だったそうです。
ファンならでは、ですね。
その後、「あんちゃん」「事件記者チャボ」で共演されますが、水谷豊さんは当時ミッキー・マッケンジーさんとご結婚されていました。
1986年、離婚が成立し、伊藤蘭さんとはそこから2年半お付き合いののち、ご結婚されています。
とても2人が親密だったので、すでに同棲しているという記事まで出回ったようです。
伊藤蘭さんは、結婚している人とのお付き合いは論外との考えでお付き合いは水谷豊さんが離婚した後にスタートしました。
主人とは『あんちゃん』という連続ドラマの兄妹役で共演したのですけど、最初の印象は、いい人だなぁ、すごい役者さんだなぁって。ただ、当時の彼は結婚したばかりでしたので恋愛の対象にはならなかったですね。私、家庭のある人っていうのは絶対にイヤなんです。よくあるドロドロした騒動がダメで(中略)。だから、あくまでもいい共演者、いいお友達で終わったかもしれないんですけど、たまたまむこうが離婚しましたので……
FRAU
共演をされ、お互いに素敵な人だな、と思っていてもきちんと独身同士の恋愛をされてたんですね。
伊藤蘭 プロポーズ
水谷豊さんが離婚したあとで、交際が始まった二人の仲は世間でも周知の事実でした。
そんな時、水谷豊さんがなにげなく口にされた言葉が
「一緒に住まないか」
です。
これがプロポーズの言葉となりました。
彼女から『それは同棲ってことですか』と聞き返されて(笑)。いやそうじゃないと答えたけど、結婚を申し込むときって、綿密な計画のもとにここで言おうとか、そういうことじゃないんですね。口に出した瞬間に現実になるわけです。口に出すまでは、何を考えていても現実じゃないんですよ。本当にコンマ何秒のこと。別れるときも同じで、口に出したところで現実になる。言わなきゃ終わらないし、始まらない
FRAU
伊藤蘭の娘 趣里
伊藤蘭の娘プロフィール
- 本名:水谷 趣里
- 生年月日:1990年9月21日
- 出生地:東京都
- 職業:女優
- ジャンル:舞台・映画・テレビドラマ
4歳からクラシックバレエを習い始め15歳の時にオーディションに合格し、イギリスのバレエ学校へバレエ留学されています。
バレリーナを目指してバレエ一色の生活を送ってました。
でも、留学先のイギリスでケガに悩まされていたそうです。
アキレス腱断裂と足首の剝離骨折が度重なり、医師から医師から「前みたいには踊れない」と告げられました。
おそらく、趣里さんはショックだったと思います。
幼い頃から、バレリーナになる、という夢をあきらめざるをえなかったので。
そして、治療のため帰国します。
趣里さんは日本の高校に行ってないので、高等学校卒業程度認定試験(大学入学の資格)を取って明治学院大学に合格されました。
頑張り屋さんなんですね。
せっかく入学した大学ですが、2012年、大学4年時で大学を中退されてます。
芸能活動に集中したい、ということだったようです。
伊藤蘭の娘女優デビュー
二世タレントであることを趣里さんは自覚していたそうです。
生半可な覚悟ではできないという重圧も感じ、迷いもあった時
「でもお前は大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ」とレッスンを受けていた「アクターズクリニック」主宰塩屋俊氏に強く背中を押され女優を目指す決心をしました。
女優デビューは2011年、オーディションに合格し、なんと「3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」4時間SP」です。
金八先生に恋する中学生の役で実年齢より5歳下でした。
お父さんは「熱中先生」だったので金八先生役の武田鉄矢さんに「金八のライバルだった小学校教師の娘」といわれたそうです。
伊藤蘭の娘デビューに反対されていた
趣里さんのご家庭は「自分のことはすべて自分で決めなさい」という両親の教育方針でした。
バレエ留学も自分の決断です。
ただ、芸能界については水谷豊さんは反対されてました。
自分のいる世界が厳しい世界だということがわかっているからこその反対のようです。
趣里さんが子どもの頃から“こっちに来ちゃダメ”と水谷豊さんは言い聞かせていました。
ぼくは絶対にこの世界に来ないでくれって、ずっと反対していた」といい「やってみなければ分からない世界なんだけれど、地獄と天国が待ってるし…。普通の親ですね、まさに」と相当心配していた様子。
デイリー
伊藤蘭の娘朝ドラ
連続テレビ小説「ブギウギ」でヒロイン・花田鈴子役を演じましたがそのオーディションは2471人が応募していました。
二世タレントとして甘えることなく、自分の力でヒロインの役を得てかなりの実力派女優さんですね。
伊藤蘭 家族
水谷豊さんは伊藤蘭さんのことを「蘭さん」と呼んでいるそうです。
初めは「蘭ちゃんさん」でした。
「おい、とか”ランちゃん”とか呼び捨てにはできません(笑)」
と話してます。
そして両親、趣里さんはお互いに子どもが女優、親が俳優、とずっと公表しませんでした。
伊藤蘭さん、水谷豊さん、趣里さん。
それぞれお互いを尊重される素敵なご家族ですね。
2023年10月に父の水谷豊さんと趣里さん2人で新会社(Trysome Bros.LLC合同会社)を立ち上げています。
業務執行社員は父の水谷豊さんと趣里さんの2人で、代表社員は父の水谷豊さんです。
会社設立の目的は
- 芸能タレントの養成及びテレビ、映画、演劇等出演の斡旋業
- 映画、演劇、テレビ番組、インターネット番組及びコンサートの企画及び制作
- スポーツレジャー施設の経営
- 喫茶店、レストラン等の飲食店経営
など事業内容は幅広い分野にわたります。
ますますのご活躍を期待しています。