上智大学法学部教授から政治家になり、内閣府特命担当大臣を務められた参院議員の猪口邦子さん。
政治家に転身されたことには敗戦国差別のような対応に屈しなかった父の影響があるようです。
猪口邦子さんに影響を与えた父について見ていきましょう。
猪口邦子の父は東京海上火災保険の元支店長!
猪口邦子さんの父
・名前:猪口 偉一
・大学:一橋大学卒業
・就職:東京海上火災保険(現:東京海上日動火災)
・日本損害保険代理業協会専務理事務める
猪口邦子さんが10歳の時(1962年頃)に父の偉一さんがサンパウロ支店長に就任しました。
猪口邦子さんたちは一家全員でブラジルに渡ったそうです。
当時、日本は高度成長期で、その貿易を支える保険の整備も急務でした。
猪口邦子の父は敗戦国差別に屈しない
サンパウロでアメリカンスクールに願書を出すと、敗戦国の子供は入学させない、という雰囲気でしたが屈しませんでした。
猪口邦子さんは最初は小さな英国系の小学校に入学しましたが、アメリカンスクールに転校しようと願書を出しました。
すると、敗戦国の子供は入学させない、という方針だったそうです。
英語が得意でなかったため通訳を通してですが
(偉一さんは)
日本は戦争に負けたが、差別をしない国に負けたと思っている
すると、校長先生が数学の試験用紙を出し、試験を受けることができました。
偉一さんが、敗戦国差別に屈せず、国策を担っているという意識のおかげで猪口邦子さんは試験を受けるチャンスを得ることができました。
そこで満点を取る猪口邦子さんも素晴らしいですね。
転校しようとしたら、そこは日本人は入学させない方針だったんですね。そこで父は米国は人を平等に扱うと聞いている、と校長先生に訴え、私は試験を受けることが許されました。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/17849
また、敗戦国差別のような対応を受けて
(猪口邦子さん)
やはり国は強くあるべきだと心底思いました。
このことがきっかけになり、国際政治学に興味が湧いたそうです。
猪口邦子の父の母親は歌人
猪口邦子さんの祖母(偉一さんの母)「葉子」さんは歌人だった為か偉一さんは女性は本を読み、書くべき人と思っていました。
ようやく字が読めるようになった猪口邦子さんに偉一さんは、会社から帰ると本を読んであげていました。
日曜日には本屋に行き、次に読む本を猪口邦子さんに買ってくれていたそうです。
元気がない偉一さんでしたが、猪口邦子さんは何よりも元気を出してもらえる言葉で励まします。
(猪口邦子さん)
本を書くから
(目を大きく見開いた偉一さん)
そうか、本を書く!すごいね。
(ずっと付き添っている末の妹)
おじいちゃんがこんなに嬉しそうな顔をしたのは初めてよ
女性が本を書くこと、ましてや娘が本を書くことが嬉しいのですね。
猪口邦子は父の影響で政治家に!
・国策の担い手、という意識でサンパウロに渡った父
・敗戦国差別に屈しない父
・アメリカンスクール入学に際して「国は強くあるべきだ」
父・偉一さんのサンパウロ転勤が猪口邦子さんに与えた影響は大きいものでした。
政治家への転身の際も父の影響がありました。
当時の小泉純一郎首相から総選挙の出馬要請があった時
(猪口邦子さん)
家族と相談します
と、即答は避けますが、これは
(偉一さん)
重要なことは即答しない
という父の教えに従い、政治家への道に入ります。
ただ父の教えの一つが「重要なことは即答しない」でしたので、「家族と相談します」と一旦引き取り、翌日にお引き受けしますと伝えました。
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とても仲が良いご家族の様子が伺えます。