デヴィ夫人の両親は大工と後妻!お金に苦しみ弟は自殺の壮絶な生い立ち!

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タレント活動をするインドネシアの故スカルノ元大統領夫人のデヴィ夫人は日本人離れしたお顔立ちですが、両親は純粋な日本人です。

社交会など華やかな話題が多いデヴィ夫人ですが、生まれ育った家庭は貧しく、壮絶な生い立ちでした。

現在とは正反対と言える実家の家族をご紹介します。

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目次

デヴィ夫人の両親は大工と後妻!父親

https://wendy-net.com/mswendy/backnumber/ms201901/
17歳頃のデヴィ夫人

デヴィ夫人の父親は根本平七郎さんといい、東京の麻布霞町(現在の港区西麻布)に住み大工の棟梁でした。

腕のいい大工さんでしたが、デヴィ夫人が生まれた1940年は第二次世界大戦が始まった翌年です。

あちらこちら、空襲で家が焼けていました。

デヴィ夫人の父親の平七郎さんはその空襲に遭った人の家を建てたり、修繕をしたり、のお仕事をされています。

ですが、そのお仕事は無償だったり少ないお金でされていました。

戦後、誰もが貧しかった時代で支払いもままならなかったのです。

デヴィ夫人の家庭もやはり貧しく、学校に収めるお金も滞納するほどでした。

デヴィ夫人の両親は大工と後妻!母親

https://www.jprime.jp/articles/-/28709?page=5
24歳頃

デヴィ夫人の母親は政子さんといい、後妻で足が悪かったそうです。

大工の平七郎さんは無償や少ない支払いで仕事をしていたため、デヴィ夫人の家庭は生活に困窮していました。

そのため、母親の政子さんが内職をしてそのお金でやりくりする生活だったそうです。

その上、先妻の子どもがデヴィ夫人の家にお金をせびりに来ていました。

しかも後妻だった母は、先妻の子どもがお金の無心にくると、なにがしかのお金を工面して渡さざるを得なくて。

https://woman.nikkei.com/atcl/aria/column/19/020400061/030900023/

母親の政子さんは、苦しい家計の中なんとか用立てて渡すという苦労ばかりの生活だったそうです。

(デヴィ夫人)
いつかきっとお金持ちになって、お母さんに楽をさせてあげたい

お金に苦労する母を見て育ったデヴィ夫人は、心に固く誓いました。

にゃあ

デヴィ夫人の家はかなり貧しかったんだね

デヴィ夫人の弟はお金で自殺!

https://www.jprime.jp/articles/photo/26655
26歳頃 右は佐藤栄作首相

デヴィ夫人の弟は早稲田大学!

デヴィ夫人の弟は八曾男さんといいます。

デヴィ夫人の弟の八曾男さんは早稲田大学に入学した早大生でした。

貧しかったデヴィ夫人の家庭は中学を卒業し、就職したデヴィ夫人が働き支えています。

インドネシアに、スカルノ大統領と結婚のため渡ったデヴィ夫人の元に1961年12月、「ハハキトク」と弟から報が届きました。

デヴィ夫人が帰国した時には母親は意識がなく、40日後に他界されたそうです。

1962年、デヴィ夫人が22歳でした。

デヴィ夫人の弟はガス自殺!

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弟の八曾男さんは母親の死に目に逢えず、全財産をセールスマンに騙し取られ、自宅アパートでガス自殺しました。

母親が他界した2日後に、弟の八曾男さんが他界しました。

騙し取られたお金は、デヴィ夫人が母親と弟のために渡したお金でした。

弟の八曾男さんがとても苦しんでいたことをデヴィ夫人が知ったのは、後になってからです。

さらに2日後、当時、早稲田大学の学生だった弟が自ら命を絶ったのです。人にだまされて、わたくしが母と弟のためにためていたお金をすべて失い、悩み苦しんでいたことを後になって知りました。

https://woman.nikkei.com/atcl/aria/column/19/020400061/031000024/

(デヴィ夫人)
自分の新しい生活に精いっぱいで、弟の悩みに気づいてあげることができなかった。

デヴィ夫人は弟の悩みに気づかず、自分の生活に追われたことを後悔されてます。

にゃあ

たった2日の間に母親と弟を亡くし、デヴィ夫人の悲しみは計り知れないな

現在の華やかなデヴィ夫人には壮絶な生い立ちがありました。

辛い過去があるからこそ、どんな逆境でも生き抜く力を得ることができたそうです。

デヴィ夫人のこれからを応援していきたいですね。

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