デヴィ夫人の若い頃の仕事は何?高級サパークラブで1日20万円!

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スカルノ元大統領の第3夫人となったデヴィ夫人は貧しい家庭で育ちました。

高級クラブでホステスをしていたことはよく知られてますが、19歳でスカルノ大統領のいるインドネシアに渡るまで、さまざまな仕事に就きデヴィ夫人が家族を養っています。

若い頃(インドネシアに渡るまで)のデヴィ夫人が何の仕事で家族を養っていたのか見ていきましょう。

デヴィ夫人の両親は大工と後妻!お金に苦しみ弟は自殺の壮絶な生い立ち!はコチラ↓

目次

デヴィ夫人の若い頃の仕事は何?画家?!

日経Xwomanより
『ボート乗り場にて』カシニョールに思いを寄せて デヴィ・スカルノ/2013年

小さい頃から絵を描くのが得意だったデヴィ夫人は、周囲からも「天才だ!」と言われ、藝大の先生に習っていました。

貧しい家庭でしたが、デヴィ夫人のために母親は内職で貯めたお金を使い、藝大の先生から習わせてもらってました。

ある日、学校から帰ったデヴィ夫人は、クラスメイトの母親に頭を下げ、学校に支払う月謝のお金を借りる母の姿を見、障子越しに聞いてしまいました。

にゃあ

デヴィ夫人は辛かっただろうな

貧しい家庭で学校の月謝も払うことができないくらい、苦しい生活です。

「将来は画家になる」と思っていたデヴィ夫人ですが、

(デヴィ夫人)
画家では母と弟を養えない

と、夢を諦めました。

デヴィ夫人は『母にそんな思いをさせてまで学校に通うことなんてできない。私が母を支えなければ』と強く思ったそうです。

貧しい中でも母が内職でお金を貯め、藝大の先生につけて絵を習わせてくれました。ある日、学校から帰ると、母が私のクラスメイトの母親にしきりに頭を下げているところに出くわしました。障子越しに話を聞いていたら、どうやら私を学校に通わせる月謝が払えなくて、その方にお金を借りていたようなのです。

https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/kataru/051_dewi_sukarno.html

デヴィ夫人の若い頃の仕事は何?女優!

Amazonより

画家を諦めたデヴィ夫人は、学歴も家柄も関係ない女優を目指しました。

六本木の東芸プロに入り、演技や歌、踊りの勉強をしながら映画やテレビに出演されてます。

15歳の時には『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』新東宝制作映画(白黒映画)にエキストラで出演。

デヴィ夫人はセリフのないエキストラばかりでした。

一時は子役をしていた。しかし、セリフもない役だった。

https://news.livedoor.com/article/detail/23422608/
にゃあ

デヴィ夫人は若い頃に女優をしていたんだね

デヴィ夫人の若い頃の仕事は何?保険会社とウェイトレス

Instagram

中学時代のデヴィ夫人は、そろばん二級、暗算三級、英語はクラスで一番でした。

誰もが進学すると思いましたが、お金を得るために就職します。

デヴィ夫人は、450人中3人しか受からない(倍率150倍)の難関を突破し、千代田生命(現・ジブラルタ生命)に入社します。

ちゅう

デヴィ夫人、とっても学力が高い人だったんだね

お金をとにかく貯めたかったデヴィ夫人は”4足のわらじ”でがむしゃらに働いたそうです。

・千代田生命(現・ジブラルタ生命)
・喫茶店で平日の昼休み50分と週末は別の喫茶店でウェイトレス
・夜は三田高校の定時制へ通学
・女優

就職した1年後に父親が亡くなったため、1日が30時間くらいに感じられる密度の濃い生活を送っていました。

デヴィ夫人の家庭は貧しかったので積んできた野草を雑炊やおひたしにして食べていたそうです。

「幸せ!ボンビーガール」(日本テレビ系)でヤバすぎるエピソードを披露し、スタジオを驚かせました。

「(実家に)迷い込んで入ってきたハトがいるんですけどね。そうしましたらそれが夜、照り焼きになって出てきました」と当時を振り返るとスタジオは驚きに包まれた。

https://e-talentbank.co.jp/news/enta/122454/?type=desc
ちゅう

デヴィ夫人は若い頃、保険会社とウェイトレスのお仕事もしてたんだね

デヴィ夫人の若い頃の仕事は何?高級サパークラブで1日20万円!

Xより

ホステスのきっかけ

家計を支え、弟を大学に活かせるため定時制高校を中退して、赤坂の高級サパークラブ「コパカバーナ」でホステスとして働きました。

デヴィ夫人は会社を辞め、、茶道、生け花、日本舞踊など、自分磨きを始めたそうです。

にゃあ

パトロンが現れたんじゃないかな

そのうちに、ある方のお世話になることになり、会社を辞め、茶道、生け花、日本舞踊など、自分を磨く日々が始まります。

https://wendy-net.com/mswendy/backnumber/ms201901/

その方に連れて行ってもらっていたのが、赤坂の高級サパークラブ「コパカバーナ」です。

「コパカバーナ」は超高級クラブで、水割り1杯の価格が大卒の初任給(約1万円)、テーブルチャージ料はその10倍の10万円といわれる日本随一の社交場です。

かつてあった伝説の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」。テーブルチャージ料は、当時の大卒初任給が1万円といわれた時代に、なんと10万円だったという。

テレ東「出没!アド街ック天国」

デヴィ夫人は頻繁に「コパカバーナ」の行くうちに、マダム(オーナー)に気に入られ、アルバイトをすることになりました。

「プリンセス」と呼ばれギャラは20万円以上!

日経Xwomanより
19歳頃のデヴィ夫人

コパカバーナ」は、現在の銀座のクラブなどとは異なり、「私たちがタバコを手にすると、男性のお客様がライターを出してくれる」というような店だった、と話してます。

かなりの美貌でと頭の良さ、英語が堪能で評判を呼んでいたそうです。

そんな美しいデヴィ夫人は「プリンセス」と呼ばれていたそうです。

現在もお美しいですが、19歳のデヴィ夫人は日本人離れした、彫りの深いエキゾチックな美しさですね。

高級クラブの超人気ホステスだったデヴィ夫人のギャラは、1日で多い時は1万円(当時大卒初任給約1万円)。

現在に換算すると20何万円相当だそうです。

 当時のギャラは「1日に多いときは1万円。いまでいうと20何万円」で「プリンセスと呼ばれた」と回想。

https://news.livedoor.com/article/detail/23422608/

デヴィ夫人はホステスとして働いている時に、帝国ホテルでスカルノ大統領と出会い、後に結婚されました。

結婚されてからは仕事をされてないので、デヴィ夫人の若い頃の仕事は
・千代田生命(現・ジブラルタ生命)勤務
・喫茶店で平日の昼休み50分と週末は別の喫茶店でウェイトレス
・女優
・ホステス

でした。

家族のために働いていたデヴィ夫人は立派な方ですね。

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