三笠宮妃百合子さまが、11月15日に老衰でご薨去され、孫の彬子さまが葬儀の喪主を務めます。
百合子さまのご長男寛仁さまは薨去されてますが、妻の信子さまはお元気ですので慣例であれば、信子さまが喪主を務めるはずです。
彬子さまと信子さまは10年以上口をきいていないほどの確執があるとか。
孫の彬子さまがなぜ喪主を務めることになったのか見ていきましょう。
彬子さまがなぜ喪主?!百合子さまの3人のご子息はご薨去
百合子さまは3男2女の子どもに恵まれましたが、3人のご子息に先立たれてしまわれました。
崇仁親王妃 百合子さまは旧華族出身で父親は貴族院議員だった高木正得子爵です。
母方の祖父や叔父が侍従長を務めるなど、皇室と深い関わりがありました。
百合子さまは18歳で、三笠宮崇仁親王 (当時25歳)と1941年10月に結婚され皇室に入られます。
三笠宮崇仁親王は大正天皇の第4皇子で百合子さまとの間に3男2女の子どもに恵まれました。
ですが、相次ぎ3人の息子に先立たれてしまわれます。
・1944年4月26日出生:甯子内親王(やすこないしんのう)ご結婚され 近衞甯子さま
・1946年1月5日出生:寛仁親王(ともひとしんのう)2012年6月6日ご薨去67歳
・1948年2月11日出生:桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう)2014年6月17日ご薨去66歳
・1951年10月23日出生:容子内親王(まさこないしんのう) ご結婚され 千 容子
・1954年12月29日出生:高円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう)2002年11月21日ご薨去66歳
三笠宮崇仁親王は2016年10月27日100歳でご薨去されています。
子女は結婚し皇族を離れましたし、本来であれば喪主となるはずの3人の息子は両親より早くに先立たれてしまわれました。
ご子息が喪主を務めることは不可能です。
子どもを、見送らなければいけなかった百合子さまの悲しみは深いものだと思います。
彬子さまがなぜ喪主?!長男の妻信子さまは?
彬子さまと信子さまは親子
百合子さまの3人のご子息はご薨去されましたが、その場合、長男の妻である信子さまが喪主を務めることが一般的と考えられます。
彬子さまのお母様は信子さまです。
信子さまは、1980年11月17日に寛仁親王とご成婚されました。
そして2人の子女に恵まれます。
・1981年12月20日出生:彬子女王(あきこじょおう)42歳
・1983年10月25日出生:瑶子女王(ようこじょおう)41歳
(2024年11月時点)
未婚女性皇族には「内親王」と「女王」と呼び名があります。
彬子さまは寛仁親王と信子さんの間に生まれ、両親は天皇ではなく皇族ですので女王になります。
両親の別居から信子さまと確執
《母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと話をすることができていない》
週刊女性プライム
信子さまは2004年の春頃、更年期障害や胃潰瘍と診断され軽井沢にある麻生家の別荘で静養されます。
信子さまは実家で静養された、ということですね。
約2年後の2006年に赤坂の宮邸へお戻りされましたが、引きこもりや入退院を繰り返すようになったそうです。
2008年には「ストレス性喘息」の診断で1年近くご入院されます。
寛仁親王は1990年代から、癌やアルコール依存症、肺炎、不整脈など、ご病気と闘っておられました。
信子さまもご病気がありお辛かったでしょう。
ですが、残された子ども、彬子さまと瑶子様は病気で苦しむ父を放り、別居した母親の信子さまが許せない、と思ったそうです。
「療養を目的として“完全別居”になりました。彬子さまと瑶子さまは、病気の父を置き去りにした信子さまが許せなかったといいます」
https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/2q5g7y9wdub8?mediadetail=1
彬子さまは現在も信子さまとは口も聞かず、目も合わさなかった、と2024年10月の園遊会での行動を女性自身が報じてます。
彬子さまがなぜ喪主?!百合子さまからの信頼
彬子さまは百合子さまにお話をお伺いするのが大好きで、特に父親の寛仁さまが亡くなられて以来は由里子さまに何かとお尋ねされてました。
母親の信子さまとは別居し、父親が亡くなられ、百合子さまが母親代わりになってくださったのかもしれません、
寛仁さまが亡くなられた当時、彬子さまは30歳。
両親を亡くして心細かったりもされた時には百合子さまがお力になってくださったに違いありません。
また、息子に先立たれた百合子さまも同じお気持ちをお持ちだったでしょう。
2022年に刊行された三笠宮さまの伝記の編纂にあたって百合子さまに聞き取りをさせていただいたそうです。
その聞き取りは彬子さまがされました。
百合子さまがインタビューで
(百合子さま)
ついつい話し過ぎてしまっているかもしれない
(百合子さま)
彬子ちゃんが聞いてくれるので、ついつい話しちゃうの
(百合子さま)
やっぱり彬子ちゃんにはいろいろ知ってもらいたいの
とおっしゃってました。
彬子さまと百合子さまの絆と信頼関係がよくわかります。
彬子さまは、寛仁さまが亡くなられた際に百合子様から黒の絹製の手袋を受け取りました。
その手袋は貞明皇后(大正天皇の皇后)からいただいたものです。
彬子さまは皇室の役割は守り伝えていくことだと強く響いたそうです。
寛仁さまが亡くなった際には、百合子さまが貞明皇后からもらったという黒の絹製の手袋を、百合子さまから受け取った。彬子さまは「皇室は守り伝えていくという役割があるということを強く実感した」という。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024111500804&g=soc
百合子様から大切な手袋を譲り受けたことは、彬子さまは百合子さまから信頼を受けている、ということですね。
百合子さまの葬儀は彬子さまが喪主になる理由は
・ご子息がご薨去
・長男の妻であり母親の信子さまは家を出て行ったまま
・百合子さまは彬子さまに信頼を寄せていた
ということからだと思われます。
慕っていた百合子さまのお見送りを、彬子さまが務められることは百合子さまも安堵されているでしょう。